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早速ですが今回は、茨城県陶芸美術館で2月26日まで開催されている『生誕150年記念 板谷波山の陶芸 ~帝室のマエストロによる至高の技~』について、事前に知っておくと役に立つアート予備知識をご紹介します!!
今回の記事を読むと、日本の近現代陶芸を代表する板谷波山の凄さとは何なのかわかってもらえると思います!
陶芸はテレビなどでよく「○○万円の壺!!」などと紹介されることがありますが、価値のあるものっていったいどういうものなのでしょうか?この記事が、それを考えるきっかけとしても役立ってもらえると幸いです♪
今回参考にした書籍はこちらです!茨城県陶芸美術館ではありませんが、同じく板谷波山の作品を多く所蔵している出光美術館学芸員によって執筆されたもので、今回の展示とかなり重なる内容になっていました!↓↓↓
当時の陶芸の世界ってどんな感じ?板谷波山の立ち位置って?
板谷波山のことを話す前に、近代日本の陶芸界がどのようなものだったか、皆さんに知ってもらいたいと思います!
明治以降の日本は、世界に認めてもらえるように、殖産興業に力を入れていました。陶芸界も同様です。海外に輸出するために、日本らしさ満載の作品(没個性ともいえる)を大量に作るのが基本でした。
その流れは明治時代末にはかなり落ち着いてきてました。代わって、作家個人の表現や『アート』としての陶芸を追求し始めたのが、板谷波山を筆頭とするこの時代の陶芸家たちなのです!
板谷波山の経歴は?
覚えておきたい項目は以下の通りです!
- 1872年 現在の茨城県下館市に生まれる
- 東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科卒業
- 石川県工業高校 木彫科主任として赴任 →木彫科廃止で陶磁科へ移る
- 東京・田端へ移る(東京工業高校窒業科嘱託職員として赴任)
- 板谷波山に改名(地元の筑波山から名をとる)
- 1914年 葆光彩磁(ほこうさいじ)が完成
- 帝室技芸員任命
- 1954年 茨城県名誉県民になる
まず注目してほしいのは、波山がもともと陶芸ではなく彫刻を学んでいた、ということです!
波山は石川県工業高校の陶磁科に配属されて、初めて陶磁の作品を制作しました。このときの波山は、大学時代から学んできた彫刻技術を、陶芸の装飾に用いた作品を制作していました。
たくさんの実物作品や書籍に囲まれ、整った設備の中で制作と研究を重ねた波山は、やがて自分の窯を持ちたいと考えます。こうして東京・田端に移り、窯と作業スペース付きの粗末な家を建てて、生活を始めたのでした。
それから10年ほど経って、波山が完成させた独自の表現が、葆光彩磁です。彼の作品様式については、後述の『板谷波山の作品スタイルは?』でご紹介します♪
こうして制作が認められた波山は帝室技芸員に任命されます。展覧会タイトルにもある「帝室のマエストロ」というのは、こちらを言い換えたものでしょう。帝室技芸員というものは、戦前日本の芸術家にとって最高の栄誉ともいえる称号です。波山も、天皇家お抱えの芸術家の一人として、天皇家に捧げる陶芸作品をいくつも制作しました。
板谷波山はどんな人だった?
そんな帝室のマエストロ・板谷波山はどのような人物だったのでしょうか?
①ずっと貧しかった
板谷波山は、石川県工業高校ではかなり裕福な暮らしをしていたといいますが、田端に移ってからは、長い間貧困に苦しみました。 石川県工業高校の退職金230円を持って上京しましたが、掘っ立て小屋に工場と窯場の建設だけで345円、窯の運営費と作品制作費だけで月に50円かかったといいます。 波山は、「これでは板屋破産だ」と自虐を言っていたそうです(笑)。
②完璧主義だった
板谷波山はいわゆる寡作(作品数が少ない)の作家と言われていますが、彼の中で「これは違う」と思った作品は、容赦なく割ってしまうところがありました。友人でもあった出光佐三(出光グループの創業者)が波山の工場を訪れたところ、目を奪われるような美しい作品が割られようとしており、佐三は必死に頼み込んでその作品を引き取った、という話もあります。
①・②の性格が合わさって、当時の人々にも波山は「清貧」というイメージを持たれていました。同じように清貧の芸術家として、有田焼の祖である、「酒井田柿右衛門伝説」というのがあります。どうやらこの話も、板谷波山の暮らしぶり・性格から影響を受けて作られたものであるそうです!
板谷波山の作品スタイルは?
板谷波山の制作スタイルとして有名なもの、絶対押さえておきたい2つをご紹介します!
①アール・ヌーヴォー様式
初期(金沢時代~上京後数年)と晩年に多く見られるスタイルです。アール・ヌーヴォーとは、ジャポニズムの影響を受け、近代西洋で流行った、自然界のモチーフを大胆に配置した工芸作品の流派を指します。波山はこれを外国雑誌や挿絵を模写したり、学校に置かれた実物を見たりしながら学び、自分の作品に落とし込んでいきました。
②葆光彩磁(ほこうさいじ)
こちらは①とは異なり、とても繊細な印象の作品です。大正初期から昭和の初めにかけて制作していました。これは釉下彩(色の層の上に透明の釉薬を塗る)の手法の一つです。「葆光」は「光沢を隠す」「物の境界をやわらかくうすく描く」という意味があります。波山は、アメリカのロックウッド窯というところで微妙な濃淡・グラデーションを用いた作品があるのを知り感銘を受け、この手法を独学で生み出しました。
この手法の一番新しい、すごいところは、透明釉薬を用いている(透明感がある)のに、表面がツヤツヤではなくマットな質感であり、かつそれが非常に均一にかかっているというところです!!これは、焼成したときに、釉中に極小の結晶ができるからでは?とも言われています。ミクロの世界まで計算し、自在に操る彼の超絶技巧……あっぱれです。
実際に展示を見に行ってみた!(感想・まとめ)
茨城県陶芸美術館は笠間市の芸術の森公園内にあり、公共交通機関よりも車で行くことをオススメします!美術館はとても開放的で広々としており、きれいな建物でした。
展示は品物ごとに分かれて配置されており、特に細かい装飾が美しい、香炉の展示が充実していました。皇室に献上したものや著名な賞を受賞したもの、そして貴重な東京美術学校の卒業作品まで見ることができ、波山の制作を隅々まで伺うことができる展示だと感じました♡
館内は写真撮影はできなかったのでご注意ください!そしてミュージアムショップの波山のグッズ(ステーショナリーやハンカチなど)もとても素敵なものばかりだったのでお見逃しなく!!
この記事を最後まで読んでくださりありがとうございました!質問・ご意見・感想等はコメント・Twitterの質問箱・DMでいつでもお寄せください♪
最後に参考にした書籍のリンクをもう一度載せておきます!↓↓↓
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